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2013.02.11(Mon) | EDIT

全国世論調査(面接方式)で、「この1か月間に1冊も本を読まなかった人は半数に達した。」とあり、
最近のメール的表現でいうなら「汗・・」を感じました。
でも同時調査で、こうした本離れ傾向を心配する人も3人に2人いたということで、少しはほっとしました。
また「子供に読み聞かせをする人も増えている。」との傾向は一時的な流行でないことに期待したいものです。
子供に対しての「読み聞かせ」子供の能力また人格形成に絶対に有効にはたらくのですから。

私の知っているあるお母さんは、娘さんが生まれたときその娘が小学校に入る前に、近くの図書館にある子供用の図書3000冊を読んであげようと
決心され、それを実践なさいました。その結果(一例を持ってすべてのように語るのはまずいのですが)娘さんは小学校3年生のときに作文で大きな賞をとり誇らしそうな写真と作文が雑誌に掲載されていたのを嬉しく拝見いたしました。そしてその後も優秀にまた順調に成長されています

「読書すること」の有用性について考えて見ます。人は一代で世の中の事象知ることは絶対に不可能です。太古の時代は口伝えにいろんな知識が伝達され、積み重ねられました。(間違いも多かったです)そしてパピルス、活版印刷の時代の流れの中、「本」という存在により、人類が数千年にわたって蓄積された知識を習得することができるようになったのです。そんな意味で「先人の貴重な体験を自分のものとして、人生に生かすことができる。」といったひとつの有用性が考えられます。

新しい情報伝達メディア。テレビやビデオを見ることも無意味とはいいません。子供の話に限っていえばお子さんにそれらを見せているご父母の心の中には「手抜きをしながらもそれが読書へのきっかけになってくれればいいな。」との期待感が存在することが察せられます。
テレビ・ビデオに限って言いますと特殊なものでない限りは、読書との大きな違いが存在します。想像力を発揮する・考えるマイペースな時間を子供たちに与えてやれないことです。読書ほどには自分のイマジネーションにより、頭の中に画像を描く事が出来る能力想像力が育ちづらいということです。
とはいえ、私自身「ドラえもん」は大好きですし自分の子供たちと一緒にテレビ・ビデオ・映画と見てまいりました。そしてそれが子供社会のあり方を教え、またキャラクターへの親近感から「ドラえもんの学習書」などにつながったことを考えるとプラスであったと考えます。
それにしても「ドラエモン」の海外での人気もすごいです。未来の科学力を持つドラエモン・弱虫だけど最後には勇気を振り絞るノビタ・昔はどこにでも
いたガキ大将のジャイアン・ちょっと意地悪なお金持ちのスネオ・かわいらしいシズカちゃん・勉強のできるデキスギ君と世界共通の子供環境だからなのかと考えてしまいます。
若干の脱線ですが、不登校や引きこもりの子供たちの現在と育ち方を研究していますと、受動的にしか生きられないといった傾向が見られ、家でビデオを見ている子供のほうが読書をする子供より数段多い傾向が見られます。
読書が想像力を育てるという因果関係の裏の状態、ビデオを見ていれば考えなくてすむといった逃避状態が見られるのです。

 「読書百遍義 自ずから見る」という諺がありますが、これは一冊の本でも何回も読み返し、又は、月日が経ってからもう一度読み返すと、分からなかった個所や見えなかったものが、「分かったり」「見えたり」してくるといった意味の諺です。
以前本誌に「中学生ごろの成長過程で重要なのは親で先生で、良書である」と書いたことがありますが、子供たちを研究する過程でますます強く感じています。
「読書は心のおしゃれです。」というjコピーを見たことがありますが、事実読書には心を育てる深い味わいと教養が存在します。一般に悪書といわれる本も存在しますが、それらを自己完成のできていない時期に読む弊害でしょう。でも良書を多く読みこなしてきた時期には悪書・良書を見極められるまた新しい賢明が育ったと考えられます。

以前本書で「長文読解の薦め」といった原稿を拝見し、感銘したのですが、国語学的な解釈は専門家にお任せし、科学者の見地から長文読解について考えて見ます。まずは長文の定義から。子供たちは1歳にもなると絵本に興味を示します。そして3・4歳になると言葉と文字の関係性がわかるようになり早い子はひらがなを自分で読めるようになります。(まだ音読しかできません・読み聞かせの重要な時期でもあります)。小学校入学前になると早い子は自分ひとりでも絵本を読めるようになります(成長による個人差の大きな時期なので、できなくてもあせる必要はありません)。そして小学生低学年ですが、早い子はもう絵のない本を読み始めます。(私の相談を受けたハーフの女の子の小学1年生は私が日本人のお母さんとお話をしている傍らで岩波新書を読んでいたのに驚きました。読解能力があることにもですが、1年生がそのような本に興味を持つことについてです)。そして中学受験、高校受験、大学受験と続くわけですが長文読解といわれるものとの付き合いが始まるのです。
この時期の特に受験における長文読解能力は、その受験校(特に理科系)に入って授業についていくために不可欠な読解力を問うというよりは、
ますます進むコンピュータ社会で、コンピュータは情報の記憶と演算処理能力については人よりはるかに優れているわけですから、それを使い、対応していくためには、たとえばデカルトが「われ考え、ゆえにわれあり」と指摘したような人間の存在価値をわかり、思考し判断する能力を持つことが必要であり、それら基礎力の判定基準になりやすいものであるからと考えます。とはいえ確認してみると作者の本意でないところに正解があったりもする受験の長文読解は不思議だと考えるのは、学生時代に長文読解に苦しんだ私の・・・でしょうか。

ここでは基本的な物の見方、考え方を学ぶうえで参考になると思われる書物のうちから、私の周りの多くの理科系の人たちが小青年時期に読んで大きな影響を受けたという著書を紹介します。 そのひとりは、寺田寅彦先生(昭和10年没)です。文豪、夏目漱石先生の門下として文学を愛し、さらに自然および社会を科学の目を通して独特なで著述をされた物理学者です。氏の著は有名で受験問題や教材としての引用例も多いことからの推薦書です。
もうひとりは、やっぱり中谷宇吉郎(昭和37年没)です。寺田の門下としてその影響を多分に受け、特に雪の研究では著名です。氏の著も受験問題や教材に多く引用されています。
中谷宇吉郎先生が有名にしたのにこんな話があります。終戦の頃までは、毎年立春になると卵の立った写真が新聞紙上に掲載されていたようですが、これは、卵は立春以外は立たないものと皆が信じていて、これを疑うものはいなかったからです。彼はこのような風習に対し、卵は立つための物理的条件が満たされるならば、いつでも立つことを実証して見せたのです。その翌年から、立春の日に卵の写真が紙上から消えたことは言うまでもありません。
小学校の高学年にもかなり難しいかもしれませんがぜひ一読をお勧めしたいものです。
あと小学校低学年に読んでほしい本はシートン動物記とファーブル昆虫記です。小さな科学者になった心がわくわくするはずです。
大人になると履歴書を書くことが何度かあると思うのですが、その「趣味」の欄に、書く人の割合ですが私の研究所の小さなデータによると、急激に減ってきています。以前ですと履歴書審査を行う人にとっては妥当な回答だったのですが。
趣味の選択肢が広がったこともこの一要因でしょうが、過去の「文学青年」といった言葉も使われなくなりそのイメージもなくなったからではないかと考えます。
読書は現実逃避の世界でもあり、自分を勇気づける手段でもあり、人を成長させる道具でもあります。
本を読みましょう。きっかけは勉強のためでもいいし、趣味であってもいいし、暇つぶしのため、または睡眠薬代わりでもいいのです。
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科学の先生

Author:科学の先生
KIS科学研究所所長・元算数オリンピック委員・○○大学特命教授 子供数理教室主催
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